西表エトセトラ 基本情報
西表島基本情報
位置
西表島は日本の最西南端、八重山諸島に属し北緯24度15分~25分、東経123度40分~55分に位置する。 解りやすくいうと東京から南西に約2100kmの距離で南へあと100km下れば北回帰線にあたる。 沖縄本土から更に南西へ約430km、まさに西表島は、南の果ての島であります。ちなみに東経123度45分6.789と非常に並びの良い数字の経度(子午線)が西表島を通っている。
面積
西表島は沖縄県では、沖縄本島に次ぐ大きさの島で、 面積は284.44平方km、海岸線総延長が、129.99 kmで新潟県の佐渡島の3分の1ほどの大きさので、日本で12番目に広い面積を持つ島であります。また島の面積の90%は亜熱帯の自然林で覆われております。
気候
西表島は亜熱帯降雨林気候域に属し年間平均気温が、23.4度、 最寒月平均気温(1月)が18.5度と四季を 通じて温暖な気候であります。 (因みに東京都の平均気温は、16.2度、最寒月平均気温(1月)が5.8度)
年間降雨量は、2500mm前後で5月、6月頃の梅雨の時期と9月、10月頃に多く降る。
地形
島のほとんどは山岳地帯で、470mの古見岳を最高峰として300m~400m級の山々の尾根が幾重にも重なり 合い、複雑な地形を形成している。このような地形から水が豊富で、特に古見岳に源を発する浦内川は、 沖縄県最大 の河川である。ほかにも仲間川、仲良川など大小あわせて約40本の河川が島全体のあちらこちらに広がっている。 また島の面積の約8割は国有林に指定されている。
海岸線
海岸線は北東部に隆起サンゴ礁がみられ、北西部には複雑な地形で湾入部が多く、リアス式海岸を形成している。 一方、南風見崎から鹿川湾にかけての南岸は直線状の海岸を形成し険しい断崖は海に迫っている。
地質
島の大部分は八重山層郡とよばれる水分を含んだ砂岩と頁岩で形成され、その間に石灰層がみられる。
北東部の古見岳や高那、 野原崎にかけては古生層が広がり、この付近では黄銅鉱や金鉱、水晶、ヒスイ、メノウなどが発見 されている。 島の北西部と東部一帯では琉球石灰岩とよばれる隆起サンゴ礁がみられる。カルスト地形を形成しており、 鍾乳洞が多く点在している。河口付近は沖積層と呼ばれる河川により運搬された土砂が形成する新しい地質である。
八重山列島
八重山列島、または八重山諸島(やえやましょとう)とも言う。 有人島はそれぞれ、石垣島、 西表島、鳩間島、小浜島、 黒島、新城島、波照間島、由布島、与那国島(与那国町)と10の島があり、無人島は大地離島、平離島、 川平湾小島、マジパナリ、嘉弥真島、仲御神島、内離島、外離島、ウ離島、鳩離島、赤離島、祖納地崎(与那国町と大小様々な 島々で構成されている。名称の由来は、島郡を遠方から眺めると八重に連なって見えるとの伝承より名付けられたとされる。
イリオモテ(西表)の由来
沖縄では、東西南北は、東が“アガリ”、西が『イリ』、南が“ハイ”、北が“ニシ”といい、西表を“イリおもて”ということになります。太陽が東から“上がって”、西に“入る”ところから由来されていると聞きます。 昔八重山の中心地であった石垣島や竹富島から見て西に在るから西の表の島でイリオモテと呼ぶようになったとの説や、於茂登『ウムトゥ』岳(石垣島の最高峰)と比べて西表島の山々を西の於茂登というわけでイリウムトゥ→・・・ 『イリオモテ』となったという説があります。
歴史
古くからの集落は古見・祖納集落くらいで、定住するには困難な地域であった。1764年から約8年間には一時800人くらいだったというが、明和の大津波やマラリア流行で人口は激減してしまった。また、明治19年頃(1886年) から炭鉱の採掘がおこなわれたが、過酷な環境とマラリアの蔓延で、僅かな期間で休止となった。その後は、大正末期から昭和初期にかけて炭坑が開かれ、一時は発展しそうな勢いがあったが、第二次世界大戦(太平洋戦争)が勃発し次第にまた減衰していった。 大戦末期には付近の島の住民が疎開を命じられ、この地で多くの住民がマラリアにかかり死亡するといった悲劇が起きている。この出来事を戦争マラリアと呼んでいる。
このような歴史的背景もあり開発がほとんど進むことなく、結果として人の手が入らない豊かな自然が残ることになった。ちなみに現在では、マラリアは撲滅されている。
自治体
日本:沖縄県八重山郡竹富町 電話の市外局番:【0980】 郵便番号:西表島・東部907-14(907-1431~5)/西部907-15(907-1541~4)
選挙区:沖縄県第4区(おきなわけんだいよんく)八重山郡区というのは存在せず、石垣市区として石垣市と合わせた選挙区となっている。
町役場は、石垣島にあり(石垣市美崎町11)、役場がその町村の区域外に位置する町村は、竹富町以外には鹿児島県の十島村・三島村の二つしかない。
人口
西表島の人口は約2,400人で近年は増加傾向にいある。平成17年の政府(国勢調査)の統計資料によると竹富町の人口増加率は25%と高い水準である。
竹富町
竹富町(たけとみちょう)とは、沖縄県八重山郡の町である。竹富町は、八重山諸島のうち、西表島、竹富島、小浜島、黒島、波照間島、鳩間島、新城島、由布島の有人島と、その周囲にある無人島からなる。
産業
西表島の主な産業は、農業と観光産業が主体である。農業では、島の東部地区ではサトウキビ、西部地区ではパイナップル、稲作などが盛んで、近年ではマンゴーやパッションフルーツなどの熱帯果樹も盛んになってきている。 観光産業においては、島の豊かな自然に注目したツアーなどが盛んでリゾート的な雰囲気とは一線を画しているのも特徴の一つであり、観光施設は住民経営の民宿や商店等が主である。
市街地
西表島の市街地は、西部(上原・船浦)地区と東部(大原)地区があり、宿泊施設やお土産店などは、西部地区に多く存在し効率よく過ごすには西部の地域が便利と言われる。集落別に分けると東部には豊原、大原、大富、古見、美原、の集落。 西部は船浦、上原、中野、住吉、浦内、星立、祖納、白浜、舟浮の各集落。
伝統(祭)
節祭(シチ)西表島祖納(ソナイ)・星立地区伝わる伝統行事。季節の折り目、年の折り目を表す祭りである。この折、当年の豊作を感謝するとともに来年の豊饒と人々の平安を祈願する。 5百年もの伝統があり、毎年旧暦10月前後の「つちのとのゐ」の日に集落を挙げて開催される。 祭りはどんなことがあっても定められた日に行われ、台風の最中でも行われた記録もあるほどで葬儀を後回しにしてでも参加しなければならない厳しい掟がある。祭りは3日間行われ、初日は「年の晩」、 第二日目を世乞【ゆうく】、三日目は「止留式【とどめ】」と称し、 それぞれに意味をもって行われる。節祭は八重山諸島をはじめ沖縄方面で広く行われている行事であるが1991年に国の重要無形文化財に『西表島の節祭』(いりおもてじまのしち)が指定された。